道 路 族
最近の新聞を読んでいると、「道路族」という表記によく接する。この「道路族」という表記は何なのだろうか。道路建設に熱心であれば「道路族」なのだろうか。だとしたならば、私もまぎれもなく「道路族」である。
ガソリン税の一般財源化に対して、党議決定すべきだ、閣議決定すべきだと騒いでいる自民党の跳ね上がり議員たちを眺めてみると、すでに道路整備の終了した地域の議員ばかりであるのは淋しい。かれらは、いつ行なわれるかわからない再議決(衆院)にも、自分たちの意見が通らねば反対するという。3分の2以上の賛成が必要だから、彼らの造反によっては否決される可能性もある。
どうぞ、造反して下さい、といっておきたい。そして、与党をグチャグチャにすればいいではありませんか。ともかくこの集団は、目立つことが好きらしい。しかも二世議員が多い。苦労せずして議員になった人たちばかりだから、私などとは精神構造がまったく異なる。
幹事長は、こんな跳ね上がりを許してはならない。自民党総裁、公明党代表、そして与党幹部で合意したことを、「信用できない」という連中を許してはならない。野党と同じスタンスでいるこの議員たちは、いったい、何を考えているのか。この人たちの所属する派閥のリーダーたちの指導力不足を残念に思う。党に結束力がなくなれば、それは党ではない。
最近の自民党の「派閥」はひどい。「派閥」とは名ばかりで、実質は仲よし団体。総裁選挙にしても、政策にしても、まとまりがない。だから、勝手な行動をする議員が出現する。が、いつも問題を起こす議員は決まって同じ人。一言でいえば、目立ちたがり屋だ。
「派閥」が力をなくし、かかる議員たちを除名できないのも悲しい。それもそのはず、「派閥」の会長自身にパワーがないようだ。なのに数ばかりを競い合う。総裁派閥におれば、必死になって福田総理を支えねばならないのに、足を引っぱりそうな行動に走る神経、私には理解できぬ。
私たちの二階派は少人数、それでも重要なことを決定する際は、熱心に議論する。で、そこで決まったことに関しては、結束するのみ。今まで一人の造反者も出していない。ということは、二階派全員が「道路族」ということになろうか。マスコミは、「道路族」の代表格に二階俊博、古賀誠の両代議士をあげる。
「道路族」の一人に私も名があるとしたなら、それは光栄な話。どうしても着工せねばならぬ道路が、「第二阪和国道」をはじめ、数本もあるのだから、「道路族」とは有難い。ある意味では勲章であるとも思う。日本国中で、まだまだ必要な道路がたくさんある。が、民主党や他の野党は、その必要性を認めないのだ。
地方に行けばわかるが、通学道路にガードレールのない危険な箇所もたくさんある。それらの工事費を自治体はいかにして捻出するのだろうか。野党は、あまりにも無責任ではないか。必要な道路は、どんなことがあろうとも、建設を急がねばならない。
車社会の日本にあって、地方の活性化のためには、どうしても道路が求められる。「道路族」なる呼称は、利権をあさる政治家と映るらしく、評判は高くない。それでも、あえて私は「道路族」の一員でありたい。それくらい道路建設に情熱を燃やしているのだ。いや、地元の期待である。地元の野党議員が、道路建設に反対したのだから、私の責任は大きいと認識している。
私は、「文教族」でもある。初当選以来、文部科学委員会に籍を置いてきたにくわえ、文科部会長代理も経験したごとく、ずっと部会に出席してきた。「族」とは、専門家を指すのだと私は思う。マスコミは、どんな意味を用いているのかわからぬが、その道の専門家、実力者と解すべきであろう。
私は、立派な「道路族」であり、「文教族」であると胸を張る。そして党内で定められたことは守り抜く。政党政治が、徐々にほころびつつある気がする。与野党ともに、だ。
08年04月21日
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